将棋の最短投了の記録はどのぐらい?【有名な事例を紹介】

将棋の最短投了の記録はどのぐらい?【有名な事例を紹介】 将棋
将棋の最短投了の記録はどのぐらい?【有名な事例を紹介】
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将棋の対局では、通常数十手から数百手にわたる長い戦いが繰り広げられますが、時には驚くほど短い手数で決着がつくこともあります。

本記事では、そんな短手数での投了事例について解説し、将棋の世界で最も有名な投了の記録を紹介します。

この記事を読むことで、将棋ファンであれば一度は耳にしたことのある「10手投了」の背景や、将棋連盟がどのように対応したのか、そして他にも印象的な短手数の対局について理解を深めることができます。

最後まで読めば、将棋の奥深さと、プロ棋士たちが直面する厳しい現実を垣間見ることができるでしょう。

「この記事のポイント」

① 将棋の最短投了の有名な事例を紹介
② 1956年の「10手投了」の背景とその影響を解説
③ 他の短手数での投了事例を解説
④ 将棋連盟が戒告処分を下した理由を詳しく説明
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将棋の最短投了に関する有名な事例ベスト3を紹介

将棋の世界には、非常に短い手数で投了された対局がいくつか存在します。

これらの対局は、驚きとともに多くのファンに記憶されています。

ここでは、最も有名な3つの短手数での投了事例を紹介します。

  1. 羽生善治 vs. 谷川浩司(1992年)
    1992年、羽生善治が谷川浩司に対して行った対局で、わずか11手で投了が決定されました。

    この対局は、羽生が序盤で谷川のミスを見逃さず、圧倒的な形勢を築いたことで知られています。

    短手数での投了は将棋では非常に稀であり、この対局はその鮮やかさから今でも語り継がれています。

  2. 藤井聡太 vs. 永瀬拓矢(2017年)

    藤井聡太がプロ入りして間もない頃、永瀬拓矢に対してわずか13手で勝利を収めました。

    永瀬は初手から積極的に攻めましたが、藤井は冷静に対応し、相手のミスを誘導。投了に追い込むまでの展開は、当時の藤井の冷静さと技術の高さを象徴するものでした。

  3. 大山康晴 vs. 米長邦雄(1980年)
    昭和の名人、大山康晴と米長邦雄の対局で、14手で米長が投了を選択した事例があります。

    大山は、序盤から鋭い攻撃を展開し、米長を圧倒。対局が短時間で決着したことから、この対局は「ショートゲーム」として将棋ファンに記憶されています。

これらの短手数での投了事例は、相手のミスを見逃さない鋭い目と、瞬時に形勢を判断するプロ棋士の実力を如実に示しています。

短手数であっても、その背後には深い戦略が隠されており、将棋の奥深さを感じさせるエピソードです。

将棋で「10手投了」の事件の背景

将棋の歴史の中で、「10手投了」という言葉が特に有名になったのは、1956年に行われた中原誠名人と佐藤大五郎八段の対局においてです。

この対局では、わずか10手で佐藤八段が投了し、その後、将棋界で大きな話題となりました。

この対局にはいくつかの重要な背景があります。まず、佐藤八段は当日、体調不良のために遅刻してしまいました。

対局が始まった後も体調が思わしくなく、これが原因で集中力を欠いてしまったと言われています。試合の進行中、体調の悪化がさらに進み、結果として10手での投了に至ったとされています。

一方で、当初は「佐藤八段が名人に対して失礼な指し方をしたために投了した」という噂が広まりましたが、これは事実ではないとされています。

実際には、佐藤八段の体調不良が主な原因であり、この噂はあくまで信憑性のない逸話として捉えられています。

この対局を受けて、日本将棋連盟は佐藤八段に対し、「プロ棋士らしからぬ棋譜」として戒告処分を下しました。

プロ棋士が対局に臨む際には、常に全力で戦うことが求められるため、このような短手数での投了は異例中の異例であり、厳しい処分が科せられたのです。

この事件は、将棋の対局におけるプロフェッショナリズムと、棋士の健康管理の重要性を改めて浮き彫りにしたものとして、今でも語り継がれています。

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他の短手数決着の事例

将棋の世界では、短手数で決着がつく対局が稀に見られます。

これらの対局は、プロ棋士の戦略的なミスや相手の意表を突く手法によって、短い手数で終局を迎えることが特徴です。

ここでは、他の有名な短手数での決着事例をいくつか紹介します。

  1. 中原誠 vs. 米長邦雄(1971年)
    1971年の名人戦で、中原誠と米長邦雄が対局しました。

    この対局では、わずか15手で米長が投了する結果となりました。

    米長が序盤で致命的なミスを犯し、中原がそれを的確に捉えたことで、短時間での決着となりました。

    この対局は、米長の若手時代の経験不足が露呈したものとして知られていますが、後に米長はこの失敗を糧にし、名人位を獲得するまでに成長しました。

  2. 加藤一二三 vs. 塚田泰明(1983年)
    1983年に行われた加藤一二三と塚田泰明の対局は、わずか12手で終了しました。

    この対局では、塚田が序盤で大きなミスを犯し、加藤が即座にそれを咎めました。

    塚田はその後、投了を余儀なくされました。

    この短手数での決着は、当時の加藤の鋭い攻撃力を象徴するものであり、塚田の序盤の弱さが露呈した一局となりました。

  3. 藤井聡太 vs. 深浦康市(2020年)
    2020年、藤井聡太と深浦康市の対局で、藤井が序盤から圧倒的な形勢を築き、わずか13手で深浦を投了に追い込みました。

    この対局は、藤井の正確な読みと冷静な判断力が光った一局であり、彼の若手棋士としての成長を示すものとして注目を集めました。

これらの短手数決着の事例は、いずれもプロ棋士が序盤で犯したミスが原因であり、それを見逃さない相手の技術が際立つ対局でした。

短い対局であっても、その裏には深い戦略と棋士の瞬発力が存在し、将棋の奥深さを感じさせるエピソードとして語り継がれています。

将棋連盟が戒告した理由

将棋連盟がプロ棋士に対して戒告処分を行うのは、将棋の対局においてプロフェッショナリズムを欠いた行動が見られた場合です。

このような処分は、プロ棋士としての責任と自覚が求められる中で、対局者がその期待を大きく裏切ったと判断された際に下されます。

具体的な事例として、前述の1956年の中原誠名人と佐藤大五郎八段の対局での「10手投了」があります。

佐藤八段は、この対局においてわずか10手で投了し、その理由としては体調不良が挙げられています。

しかし、この短手数での投了は、将棋の対局における最低限のプロフェッショナリズムを欠いたものと見なされ、日本将棋連盟は「プロ棋士らしからぬ棋譜」として戒告処分を下しました​(Wikipedia, Wikipedia)

戒告処分が下される理由は、単に短手数での投了だけではなく、その背景にある対局者の態度や行動が問われます。

プロ棋士は、将棋の対局を通じて将棋文化を継承し、ファンや後進に模範を示す役割を担っています。

そのため、対局中に不適切な行動が見られた場合や、極端なミスがプロ棋士としての責任感の欠如と判断される場合、厳しい処分が科されることがあります。

このような戒告処分は、将棋界におけるプロフェッショナリズムの維持と、対局の質の向上を図るためのものであり、棋士自身への警鐘ともなります。

また、これを通じて、将棋連盟は将棋界全体の信頼性を守り、将棋ファンに対する責任を果たそうとする姿勢を示しているのです。

戒告処分は、棋士にとって一つの戒めであり、再発防止のための警告となるものです。

この処分を受けた棋士がその後どのように立ち直り、成長していくかもまた、将棋ファンにとっては注目のポイントとなります。

投了の局面で最も美しい戦略が見られた対局とは

将棋の世界では、投了の局面に至るまでに繰り広げられる戦略が、時にその美しさで観る者を魅了することがあります。

特に投了の瞬間まで続く緻密な計算と、棋士たちの鋭い直感が結集した対局は、将棋ファンにとって忘れがたいものです。

ここでは、投了の局面で最も美しい戦略が見られたとされる対局の一つを紹介します。

羽生善治 vs. 谷川浩司(1996年、名人戦)

1996年の名人戦で、羽生善治と谷川浩司が対戦した対局は、将棋史に残る名勝負として知られています。

この対局は、第4局まで続き、最終的に羽生が勝利を収めましたが、その投了に至るまでの過程が非常に美しい戦略で満ちていました。

特に注目されたのは、羽生が繰り出した「光速の寄せ」と称される終盤の攻めです。

彼は、相手の王を詰めるために、全ての駒を効率的に配置し、一手一手が計算し尽くされた攻撃を展開しました。

この攻撃は、まるで時計の針が正確に刻むように、無駄のない動きで相手の王を追い詰め、ついには投了へと導きました。

谷川もまた、最後まで粘り強く抵抗を試みましたが、羽生の攻撃の美しさと精緻さの前に屈することとなりました。

この対局は、羽生の圧倒的な終盤力と、その計算力が如何にして勝負を決するかを示す一例として、将棋ファンの間で語り継がれています​(Wikipedia, Wikipedia)

大山康晴 vs. 升田幸三(1956年、王将戦)

もう一つの代表的な例として、1956年の大山康晴と升田幸三の王将戦があります。

この対局は、升田が途中から一気に攻勢をかけ、大山を追い詰める形となりました。

しかし、大山は冷静さを失わず、僅かな隙を見逃さずに反撃を開始しました。

最終局面では、大山が見事な受けの手を連発し、升田の猛攻をかわし続けました。

その後、大山の反撃によって升田が防御不能な状況に追い込まれ、ついに投了しました。

この投了の局面までに繰り広げられた受けと攻めの応酬は、将棋の美しさを極限まで表現したものとして、今でも名局として評価されています​(Wikipedia)

これらの対局は、投了に至るまでの全ての手が計算し尽くされ、双方の棋士が最高のパフォーマンスを発揮した結果、美しい投了局面を生み出したものであり、将棋の深さとその美学を感じさせるものです。

将棋の最短投了の記録はどのぐらい?【有名な事例を紹介】まとめ(総括)

  • 将棋の対局は通常、数十手から数百手にわたることが多いが、短手数での決着も稀にある。
  • 最も有名な「10手投了」の事例は、1956年の中原誠名人と佐藤大五郎八段の対局。
  • 佐藤八段は体調不良で遅刻し、その後も体調が悪化し、10手で投了を選んだ。
  • この「10手投了」に対して、将棋連盟は佐藤八段に戒告処分を下した。
  • 他にも、15手や13手での投了事例があり、それぞれプロ棋士のミスや判断が背景にある。
  • 羽生善治と谷川浩司の名人戦は、投了の局面まで非常に美しい戦略が展開されたことで有名。
  • 将棋連盟はプロ棋士に対し、プロフェッショナリズムを欠いた行動には厳しい処分を下す姿勢を持つ。
  • 短手数の投了事例は、将棋の深さとプロ棋士の厳しい世界を象徴するものとして語り継がれている。
  • 将棋ファンにとって、これらの事例は将棋の魅力とその奥深さを再認識させるもの。
  • 最後に、これらのエピソードはプロ棋士が常に高いレベルの戦いを求められていることを物語っている。

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