こんにちは、きのじーです。
3回目のラッキーな出来事も奈落の底からの復活劇です。
果たしてテーマパークバンドはうまくいったのでしょうか?
私のことです、一筋縄ではいきませんでした。
★前回の記事はこちらから↓
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と言うのも、そこには、どん底から這い上がった男の悲しい性があります。
ゲス男の成れの果て?
ドン底から這い上がった人にも2つのパターンがあるのではないでしょうか。
1)成金パターン
(今までの苦労や人々の感謝も忘れ、やりたい放題のゲス男を極めまた地に落ちていく破滅型タイプ)
2)学習パターン
(苦労してきた経験値を生かし実績を積み上げ成功へのステップを着々と築き上げるタイプ)
さて、私はどうだったのか。
もちろんというか、当然と言うべきか、大凡人の私は前者です(;^ω^A
★テーマパークでの演奏仕事は3年契約であったにもかかわらず、1年半で辞めて東京へ帰ることとなりました。
ことの経緯を簡単に話します。
要は「図に乗り過ぎ」ていたんですね。ゲス男だけに。
前回の記事の通り、ラッパを完全にやめた経緯があるじゃないですか。
つまり、演奏家としてはいちど完全に死んだわけです。
不思議なことに、一度死んでしまうと音楽に対する怖いものがなくなってしまったんです。
一切雑念だとかしがらみがなくなってしまった。
よく言えば、悩むことなくのびのびとプレイできるようになった。
これはこれで悪いことでは決してありません。
なかなかこんな境地では演奏に望めないことが普通です。
むしろ、理想的な精神状態でプレイできたので演奏レベルも不思議と上達したものです。
このまま真面目に精進すれば少しはまともなプレイヤーになれたものの、そこはゲス男。 反面の悪いところばかり目立ってきます。
調子に乗りすぎだよゲス男!
当時を振り返ると反省点ばかりですが、要は図に乗り過ぎた、と言うこと。
してはいけない男の悪さを繰り返してしまいました。
ついには妻に三行半を突きつけられます。
★いろいろと事件も起こして迷惑もかけましたので、そのテーマパークにはいられず東京に逃げるように帰りました。
妻とはまだ一緒でしたが、離婚届はずっと携帯しており一触即発の状況が続きます。
針の筵のような状況でしたが、原因は全て自分にあります。
言語道断、言い訳無用である事は重々承知しております。
反省の言葉もありません。
東京では立ち直った?
その後もろもろと信頼を回復すべく努力をした甲斐もあり何とか妻とは修復できました。
<余談ですが>
ところで、ラッパ吹きの離婚率は半端じゃありません。
私の知る限り99%です。残り1%が私です。これは 決して自慢してるわけではありません。
音楽で仕事をしている環境がそうなのか、とにかくこの業界の離婚率は高い。
ツアーから帰ってきたとき家のがもぬけの殻。
妻も家具も犬も猫も誰もいなくなった、なんて笑い話でなく本当に実在する話です。
しょっちゅう聞きますので(*´?`*)
「妻に感謝」今でしょう!
私のようなゲス男にずっとついてきてくれる妻には感謝の言葉しかありません。
今回の3回目のラッキーな出来事の話はまだまだでてきませんが、幸せな人生を送るためには妻の存在が必要不可欠であると言うこと。 この手記を書いていて改めて感じているところです。
さて、話を戻します。
テーマパークの演奏仕事で味をしめた私は東京のあの大きなテーマパークでまた演奏することになりました。
そこでは、3年半に渡り2つのバンドで演奏しました。
とても楽しかったです。 メンバーにもスタッフにも恵まれ本当に感謝しています。
さすが「夢の国」、働いていても夢心地です。
しかしながら、そこでの演奏も少し煮詰まったというか、飽きてきたんですよねr(^ω^*)))・・・
今度はどこのテーマパーク?
ゲス男を少し改心したものの、またまた自分の新たな性を発見してしまいます。
それは飽きっぽいと言うこと。
職場もそうです、車もそう、住んでるとこもそうです。 私は1つのと・こ・ろにとどまることが苦手なようです。
★そのことは、実は今回書いている「ラッキーな出来事」とも密接に関係しています。
さいわい妻も、新天地好きというか出向好きというか笑、お互いそんなところでは趣味が合っているようで助かっています。
そんなわけで今度は紀伊半島の、とあるテーマパークで演奏することになりました。 そこでは5年間お世話になりましたが、パーク営業不振からバンドがカットされました。
業界ではよくある話です。 まず、
・バンド編成から縮小される。
・それでも経費がかかるなら、さらにメンバーを縮小。
・それでもダメならバンド自体をカット。
これは致し方ないことです。
この業界においては何事も水商売。いついかなることが起きても不思議ではありません。
給料も待遇も必ずしも保証されるというものでもありません。
なので、今回も当然それなりの覚悟を持って準備をしていました。
一旦プレイヤーとして死んだので、開き直ったと書きましたが、ここの5年間では過去に記憶がない程ラッパの練習をしました!
というのも、この音楽業界さらに々厳しくなってきている状況です。
古巣は受け入れ難し
東京のバンド仲間には「帰ってくんなよ!こっちだって厳しいんだからさぁ」などと、しょっちゅう言われてましたので。
これからは中途半端なプレイをするような演奏家ではまず仕事がないと言うことです。 その事実・厳しさを、この5年間の情報収集で痛いほど感じていました。
なので、かなり必死に練習をしたんですよ(゚-☆)!
それは、その危機感からくる感情ばかりではありません。
実は、自身の演奏も結構良い状態になってきていたのです(自画自賛かい)。
また、昔ラッパを始めた頃のように楽器が好きになってきていました。
このような感情になって、やめてしまうのはもったいないな、やれるとこまでやってみよう!
そう思って、今回はとことん自分を信じて努力してみました。
そんなふうに考え、行動起こし東京へ再び帰ったのですが。。。
☆★ 次回はまたまたどん底へ転落。
今度ばかりはマジで万事休す、四面楚歌??
はたして3度目の正直はあるのか。
ええ~・・40過ぎて初めてのサラリーマン転身!?お前にできんのかよw|;゚ロ゚|w?
というガチばなしです。↓
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